伝統の味
2008年 11月 23日
一宗の繁盛と申すは、
人のおほくあつまり
威のおほきなることにてはなく候ふ。
一人なりとも、
人の信をとるが
一宗の繁盛に候ふ。
ある偉い先生が「これからのお寺は門徒さんのニーズにこたえるべき」という内容のことを話していた。ニーズにこたえた時点で本質を曲げることになりはしないだろうか?
たまたまニーズにあった場合はいいけど、あおうがあうまいが伝える事柄は同じはずだ。
自信があればニーズだなんだと言う必要はない。もっともらしい言葉は危ない。
ラーメン屋の2代目は難しいと思う。「お客さんにもっと美味しいものを」と欲がでて伝統のスープにひと工夫してしまうからだ。ひと工夫により味のバランスが崩れぜんぜん違うものが出来上がる。お客さんが求めているのは「もっと美味しい」じゃなくいままでの味。
最初は先代と同じ味にならなくても「伝統の味」を目指せばいつかその味になる。
しかし、伝統の味にならないからと言って自らの判断で調味料をいれてしまうと味の質自体が変わってしまう。伝統の崩壊!
お寺も同じだろう。質を変えたり、社会に迎合しすぎると「もとの味」がわからなくなってしまう。
最初の数十年はもどかしいだろうけど、どっしりかまえるのが本当の近道かも。正解かどうかわからないけど、そういう道がよさげだ。
人のおほくあつまり
威のおほきなることにてはなく候ふ。
一人なりとも、
人の信をとるが
一宗の繁盛に候ふ。
ある偉い先生が「これからのお寺は門徒さんのニーズにこたえるべき」という内容のことを話していた。ニーズにこたえた時点で本質を曲げることになりはしないだろうか?
たまたまニーズにあった場合はいいけど、あおうがあうまいが伝える事柄は同じはずだ。
自信があればニーズだなんだと言う必要はない。もっともらしい言葉は危ない。
ラーメン屋の2代目は難しいと思う。「お客さんにもっと美味しいものを」と欲がでて伝統のスープにひと工夫してしまうからだ。ひと工夫により味のバランスが崩れぜんぜん違うものが出来上がる。お客さんが求めているのは「もっと美味しい」じゃなくいままでの味。
最初は先代と同じ味にならなくても「伝統の味」を目指せばいつかその味になる。
しかし、伝統の味にならないからと言って自らの判断で調味料をいれてしまうと味の質自体が変わってしまう。伝統の崩壊!
お寺も同じだろう。質を変えたり、社会に迎合しすぎると「もとの味」がわからなくなってしまう。
最初の数十年はもどかしいだろうけど、どっしりかまえるのが本当の近道かも。正解かどうかわからないけど、そういう道がよさげだ。
by bongu04200420
| 2008-11-23 15:14