突然の訪問者

昨日昼前に突然、お客さんが来た。
「お経をあげてくれ」という。
昔からよく知っている門徒さんだが最近こういうことが何回もあるので
『今度からはお参りの日時を決めましょう』と言いかけたが、野暮ったいから言うのをやめた。
適当にお参りした時に適当に坊さんがいてお経をお勤めするっていうその人の描くお寺の雰囲気を壊したくなかった。時間をきっちり決めない、留守なら留守でいいみたいな世界があってもいいと思った。

90歳に近い年齢。
「いつも突然ごめんなさい」と言った。
「はい、大丈夫ですよ」
お勤めをしていると後ろからかすかにおばあちゃんのお経の声が聞こえる。
なんか有難い気持ちになって、お勤めの後「法話」をさせていただいた。

「実は家族が違う宗教に入信しまして、私もその宗教に入れられています。でも私にはやっぱり阿弥陀様が落ち着く。お寺に来る時も何も言わずに家を出るんです。言うと家族が心配しますから」

突然来るのは、そういう理由だったんだ。

「阿弥陀様の働き」に引き寄せられてのお寺詣りとはまさにこのことだと思った。

「90年生きることはやわない。主人にも息子にも先に逝かれ、体の半分は痺れてるし…」
泣きながらいろいろな話をしてくれた。彼女の左手の薬指には指輪が光っていた。

「これだけ生きても我が強く、イライラすることも多いんですよ。でも精神を集中させ、心を強く持てば仏が助けてくれる。もっと強くならんといかん」と目を閉じて暗記している内容を話すように言った。言うか言うまいか迷ったがそれに対して僕も口を開いた。

「でも阿弥陀様は強くなれとか、偉くなれとか、精神を集中させろとか言ってませんよ。そのまま救う。このままおさめとられていくんですよ」

「うん。さきほどそう言う話を聞いて安心した。若い時は元気だし、もっと頑張って上を目指したりしてました。真宗の教えがものたりないと思っていました。しかし体がうごかんようになってもそのままでいいって言ってくれる阿弥陀様が有難くてね」

信仰というものを考える時、その教えが自分の人生全体を支えていけるものかどうかを考える必要がある。健康な時、病気の時、さみしい時、嬉しい時、呆けた時、死ぬ時、その全てを包んでくれるものなのか。支えてくれるものなのか。

このおばあちゃんは、若い時によく聴聞されていたそうだ。浄土真宗から離れ何十年か経ち、ようやく阿弥陀様に出会えたのだ。若い頃の聴聞の種が今花開いたのだ。

南無阿弥陀仏
by bongu04200420 | 2008-09-26 15:20

読み流しブログの決定版 


by bongu04200420
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30