修行問答
2008年 06月 16日
今日あるおじさんと話す機会があった。
彼は比叡山で修業をしているそうだが、まず自分の持っている数珠をジャラジャラ鳴らして
「これなんか知ってるか?」と言ってきた。
「数珠、もしくは念珠ですね。二連ですか?」と言うと
おっさん「まだまだ修行が足らん。これは天台宗!いろんな坊さんが俺のところに集まってきて教えてくださいっていうんよ」
ちょっと支離滅裂…
僕「何をですか?」
おっさん「鳴らし方…」
僕「鳴らし方ですか…」
おっさんはジャラジャラ数珠をこすり合わせて鳴らした後、どんなもんだ!という顔でこちらを見ている。こころなしかカラス天狗みたいに見えた。
僕「はあ、でもこれは数珠ですよね。どういうことに用いる仏具なんですか?」
どうしても意地悪したくなった。
おっさん「そんなことはどうでもいい。おまえはまだまだ修行がたりん」
修業が足りんのはわかってる。足りてると思ってる人ほどドブの中ですよ。
おっさん「俺、朝何時に起きると思う?」
こういうときはちょっと早めに言うに限るな。
僕「5時ですか?」
おっさん「3時」
僕「さ、さんじ」
おっさん「この話をすると比叡山の坊主から『あんた3時に起きて何するんかね。』って言われる。そんな時俺はこう言ってやる。『何するというより先に俺のマネをして早起きして修行しようと思わんのか?』」
僕「すごいっすね。寝るもの早んすか?」
おっさん「(少しニコッとして)うん」
少し愛おしく思えた。
僕「こんなこと聞いて失礼ですがどんな修行をされるんですか?回峰行とか掃除とか…もしかして写経とかお経の練習とかですか?」
おっさんは甘い甘いといった感じで首を振った。
おっさん「そういう修行は何時からでもできる。自分にしかできない修行をせんと」
僕「はあ」
おっさんは「あまり人には言うなよ」という空気を出して
おっさん「ラジオ」
僕「え・・・ラジオ」
おっさん「ラジオ。特に『心の時間』なんていいね。聞いて紙に写すの」
それって修行ですか。それに付き合うのってしんどいっすわ
僕「僕にはできないっす」
おっさん「まだまだ修行が足りん」
よくよく話を聞いてみるとおじさんは回峰行や掃除などの厳しい修行はしてないようだった。
修業は量でない。きっと方向なんだ。目的なんだ。何を目指す修行なのか?
先輩の僧侶から聞いた忘れられない話
「今世界には生まれたときから泥水を飲んで、どこに地雷が埋まってるかわからないで生活するような子供が沢山います。体を痛めつけたり、キツイことをするのが修行の目的なら、選択もしてないのに厳しい状況で生きることを迫られている子供達は修行をしているのですか?」
目的地まで泳いでいこうと船に乗っていこうといいではないか。
泳げる人ばかりではないし、泳ぎつかれたら船に乗ればいいじゃないか。
彼は比叡山で修業をしているそうだが、まず自分の持っている数珠をジャラジャラ鳴らして
「これなんか知ってるか?」と言ってきた。
「数珠、もしくは念珠ですね。二連ですか?」と言うと
おっさん「まだまだ修行が足らん。これは天台宗!いろんな坊さんが俺のところに集まってきて教えてくださいっていうんよ」
ちょっと支離滅裂…
僕「何をですか?」
おっさん「鳴らし方…」
僕「鳴らし方ですか…」
おっさんはジャラジャラ数珠をこすり合わせて鳴らした後、どんなもんだ!という顔でこちらを見ている。こころなしかカラス天狗みたいに見えた。
僕「はあ、でもこれは数珠ですよね。どういうことに用いる仏具なんですか?」
どうしても意地悪したくなった。
おっさん「そんなことはどうでもいい。おまえはまだまだ修行がたりん」
修業が足りんのはわかってる。足りてると思ってる人ほどドブの中ですよ。
おっさん「俺、朝何時に起きると思う?」
こういうときはちょっと早めに言うに限るな。
僕「5時ですか?」
おっさん「3時」
僕「さ、さんじ」
おっさん「この話をすると比叡山の坊主から『あんた3時に起きて何するんかね。』って言われる。そんな時俺はこう言ってやる。『何するというより先に俺のマネをして早起きして修行しようと思わんのか?』」
僕「すごいっすね。寝るもの早んすか?」
おっさん「(少しニコッとして)うん」
少し愛おしく思えた。
僕「こんなこと聞いて失礼ですがどんな修行をされるんですか?回峰行とか掃除とか…もしかして写経とかお経の練習とかですか?」
おっさんは甘い甘いといった感じで首を振った。
おっさん「そういう修行は何時からでもできる。自分にしかできない修行をせんと」
僕「はあ」
おっさんは「あまり人には言うなよ」という空気を出して
おっさん「ラジオ」
僕「え・・・ラジオ」
おっさん「ラジオ。特に『心の時間』なんていいね。聞いて紙に写すの」
それって修行ですか。それに付き合うのってしんどいっすわ
僕「僕にはできないっす」
おっさん「まだまだ修行が足りん」
よくよく話を聞いてみるとおじさんは回峰行や掃除などの厳しい修行はしてないようだった。
修業は量でない。きっと方向なんだ。目的なんだ。何を目指す修行なのか?
先輩の僧侶から聞いた忘れられない話
「今世界には生まれたときから泥水を飲んで、どこに地雷が埋まってるかわからないで生活するような子供が沢山います。体を痛めつけたり、キツイことをするのが修行の目的なら、選択もしてないのに厳しい状況で生きることを迫られている子供達は修行をしているのですか?」
目的地まで泳いでいこうと船に乗っていこうといいではないか。
泳げる人ばかりではないし、泳ぎつかれたら船に乗ればいいじゃないか。
by bongu04200420
| 2008-06-16 15:32