如月忌

2月7日は九条武子様の命日であり、祖父の命日でもある。9日はひいひいばあちゃんの命日である。九条武子様の話沢山印象に残るものがあるが、その中のひとつ伯父さんが書いた記事から。

「六華園」という少女の保護更生施設がありました。
収容されている少女のひとり、A子は万引きの常習犯でした。何度も施設を抜け出しては悪事をはたらき、連れ戻されるということを13回も繰り返していました。何度教えても
「どうせ私は非行少女」と反省の様子もなく、ついに14回目の万引きが見つかりました。
緊急職員会議の結果、
「もうだめだ。これ以上A子に矯正の見込みはない。こうなったら警察に渡した方があの子の為だ」という結果に達したのです。

そこで、森川主任が、園長である武子様の部屋にお伺いに行きました。事の次第を説明して、返事をまっていましたが、武子様はうつむいたまま何もおっしゃいません。ならばともう一度詳しく説明して、返事を待っていましたが、依然としてこたえがありません。
どうしたのだろうと、そっと顔をあげた森川主任の目にうつったものは、下を向き目に一杯の涙をためた武子様の姿でした。

その涙が落ちて机上の本をぬらしています。しばらくしてようやく武子様がおっしゃいました。

「森川さん、A子は何回しくじったというのですか」
「はい、今度でもう14回目でございます」
「森川さん、13回目、14回目で、それで、どうしても見放さなくてはならぬのでしょうか」
「…」
「森川さん、思えば私たちは何回しくじってきたことでしょうね」
「…」
「この私は、如来様から逃げて逃げて、いったい何回逃げ回っていることでしょう。その私を如来様はお見捨てにならないではありませんか」
「…」

問題なのはA子だけではない、とおっしゃる武子様の一言。深い慈悲に満ちた言葉は森川主任の胸に響きました。
罪を罪とも知らぬ私に「汝を救う、必ず救う」とただひたすらに救いの手をさしのべてくださっている阿弥陀如来であります。今世間の常識から言えば誰もが見放して当たり前と言うギリギリの情況にあって、最後まで「救わずにはおかぬ」と涙して下さる武子様。

この話を聞いてA子は号泣して、悔い改め、更生したそうです。

武子様は42歳の若さで敗血症という病で往生されました。武子様の棺をのせた車が通る沿道は大勢のお見送りの人々で埋まりました。その一隅に赤ちゃんをおぶって手を合わせ立ちすくむ1人の若い女性の姿。武子様のお心をいただいて立ち直り、その後、幸せな結婚をしたA子が涙とともに武子様に合掌を捧げる姿でありました。


武子様の命日である如月忌(きさらぎき)に仏の大きな慈悲の心を学ばせていただいた。

九条 武子(くじょう たけこ、1887年(明治20年)
10月20日 - 1928年(昭和3年)2月7日)は、教育者・歌人、後年には社会運動活動家としても活躍した。西本願寺第21代門主・明如上人(大谷光尊)の次女(母・藤子は光尊の側室で紀州藩士族の子女)として京都で生まれる。義姉・大谷籌子裏方(大谷光瑞夫人)を助けて仏教婦人会を創設し、1911年(明治44年)、籌子が30歳の若さで早世の際は本部長に就任、同会運営の重責を果たした。
仏教主義に基づく京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)を設立、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で自身も被災するが一命を取りとめ、全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業を推進した。


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by bongu04200420 | 2008-02-08 12:57

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