源平梅の咲く頃過ぎて
2007年 12月 25日
バタバタして先月号に書くのを忘れたことにより、少し季節はずれのかんがあるが、
来年このことを覚えている自信がないので、あえて書かせていただきたい。
永照寺の小さいほうの玄関のすぐそばに梅の木がある。
この梅は冬の終わりになると白と赤の花を咲かせる。接木をしているため一本の木で二色楽しめるのだ。宅配便を持ってきた人の中には不思議そうに見ている人もいる。
木の知識に詳しい人にとって見ればなんの変哲もない接木といったところだろう。
しかし、私はこの梅を見ると母方の祖父を思い出す。
大分からわざわざ大きなトラックで運んできた梅の木。
なかなか根づかない木が多い中、しっかりと根づいたこの梅は
今年も何の言葉もなくただ紅白の花を咲かせていた。
人はさってもその人のほほえみはさらない
人はさってもその人の言葉はさらない
人はさってもその人のぬくもりはさらない
人はさっても合わす掌の中にかえってくる
冬の寒さが去りゆく前に咲く花を通して祖父を思いだした。
きっと来年もまた同じ気持ちになるのだろう。
(2006年4月『永照寺だより』より)
来年このことを覚えている自信がないので、あえて書かせていただきたい。
永照寺の小さいほうの玄関のすぐそばに梅の木がある。
この梅は冬の終わりになると白と赤の花を咲かせる。接木をしているため一本の木で二色楽しめるのだ。宅配便を持ってきた人の中には不思議そうに見ている人もいる。
木の知識に詳しい人にとって見ればなんの変哲もない接木といったところだろう。
しかし、私はこの梅を見ると母方の祖父を思い出す。
大分からわざわざ大きなトラックで運んできた梅の木。
なかなか根づかない木が多い中、しっかりと根づいたこの梅は
今年も何の言葉もなくただ紅白の花を咲かせていた。
人はさってもその人のほほえみはさらない
人はさってもその人の言葉はさらない
人はさってもその人のぬくもりはさらない
人はさっても合わす掌の中にかえってくる
冬の寒さが去りゆく前に咲く花を通して祖父を思いだした。
きっと来年もまた同じ気持ちになるのだろう。
(2006年4月『永照寺だより』より)
by bongu04200420
| 2007-12-25 15:52