お盆参りの際、女子校生がモジモジしている。
お姉ちゃんが「言いなよ!言いなよ!」と妹をツンツンしている。
「まさか!告白されるのか」と覚悟していると
「あ、あの 霊っていますか?」そっちかい(笑)
と少し残念な気持ちになった。これはよくある質問だが、今回はどう答えるか?
『空とは、有と無から離れたところにあるものなり。有と無に関する形而上学的断定から離れなされ!執着しなさんな』と答えた所で???となるに違いない。
「仏教では霊魂を否定している(厳密には否定はしていないのだが…)」と権威を押し付けた所でなんの価値もない。
よ~し、この夏はこれで行ってみよう。
これはフランスのある地方の怪談話。
おじいさんが言った。
「最近夜トイレに行くと、電気が自動的につくんだ。その後、なんやら生臭い匂いがプーンとする。用を終えるとまた電気が消える。怖くてしかたない。おそらくウチになんやら悪霊がとりついたに違いない」
おばあさん「まあ、そんなこととは気づきませんでした」
夜中におじいさんは目を覚ます。
いつもの如くトイレに向かう。おばあさんも恐怖に身を震わせながらも勇気をだして、コッソリおじいさんの後をつけた。おじいさんはトイレの側まで行くとふと方向を変える。むかった先は台所。
なんと冷蔵庫を開けてその中に用を足したのだ。
ただ寝ぼけているだけだった。若干の痴呆があったのかもしれない。
心理的に不安定な時、生きる上で柱を失った時、霊を見るという人は多い。
脳が霊を作る場合もあるだろう。懇切丁寧に説明したのだが、若干霊を否定するサイドに立っている私に対し
「霊にいて欲しい」に始まり、「きっとそのおじいさんが用を足したのは霊蔵庫なんですよ」と超高校級の締めをしてくださった。
親父ギャグを楽しそうに解説する少女の姿を見ていると、これも霊が与えてくれたご縁だなと温かい気持ちになった。
霊や迷信、占いに過剰反応を示すことは坊さんの悪い癖だ。霊と遊ぶ余裕があったっていいじゃない!どうでもいいじゃない!己がそんなものに左右されなければ。
お姉ちゃんが「言いなよ!言いなよ!」と妹をツンツンしている。
「まさか!告白されるのか」と覚悟していると
「あ、あの 霊っていますか?」そっちかい(笑)
と少し残念な気持ちになった。これはよくある質問だが、今回はどう答えるか?
『空とは、有と無から離れたところにあるものなり。有と無に関する形而上学的断定から離れなされ!執着しなさんな』と答えた所で???となるに違いない。
「仏教では霊魂を否定している(厳密には否定はしていないのだが…)」と権威を押し付けた所でなんの価値もない。
よ~し、この夏はこれで行ってみよう。
これはフランスのある地方の怪談話。
おじいさんが言った。
「最近夜トイレに行くと、電気が自動的につくんだ。その後、なんやら生臭い匂いがプーンとする。用を終えるとまた電気が消える。怖くてしかたない。おそらくウチになんやら悪霊がとりついたに違いない」
おばあさん「まあ、そんなこととは気づきませんでした」
夜中におじいさんは目を覚ます。
いつもの如くトイレに向かう。おばあさんも恐怖に身を震わせながらも勇気をだして、コッソリおじいさんの後をつけた。おじいさんはトイレの側まで行くとふと方向を変える。むかった先は台所。
なんと冷蔵庫を開けてその中に用を足したのだ。
ただ寝ぼけているだけだった。若干の痴呆があったのかもしれない。
心理的に不安定な時、生きる上で柱を失った時、霊を見るという人は多い。
脳が霊を作る場合もあるだろう。懇切丁寧に説明したのだが、若干霊を否定するサイドに立っている私に対し
「霊にいて欲しい」に始まり、「きっとそのおじいさんが用を足したのは霊蔵庫なんですよ」と超高校級の締めをしてくださった。
親父ギャグを楽しそうに解説する少女の姿を見ていると、これも霊が与えてくれたご縁だなと温かい気持ちになった。
霊や迷信、占いに過剰反応を示すことは坊さんの悪い癖だ。霊と遊ぶ余裕があったっていいじゃない!どうでもいいじゃない!己がそんなものに左右されなければ。