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生と死

突然 週刊文●の方から電話があり「ブログを見せてもらって電話しました…直葬についてどう思います?」
まず「直葬」とは(葬儀をしない、火葬のみ)
つまり葬儀をせずにそのまま遺体を焼く。というのだ。


インタビューらしい!答えないのも保身的で嫌だから、自分なりに答えてみようと思った。

雑誌が雑誌だけにその場ですぐに答えるのが怖いので少し時間をもらって自分なりに「葬儀」のことを考えてみた。どんな側面があるのか?

「その人の人生そのものの荘厳」
「お世話になった方々への報告」
「人間から仏になる式」
「迷いの世界から悟りの境地へとお生まれになる誕生の儀礼」
「自分の枠にとらわれていた命が大いなる命になることをみんなで感じる日」
「身近な人の死を通して有縁の方々に生の意味をもう一度再認識してもらう御縁」
「どこまでいっても仏徳讃嘆でしかない」

考えていたらだんだんわからなくなってきた。

はっきりいって「直葬」には生理的に反対だ。理由が安いとか簡単とかなら特に。
どんな人でも歩んできた人生というのは尊いと思う。その尊い人生の終わりの時なのに「焼いて終わり」
「間に合わせのお経、お経テープで終わり」というのはなんだか味気ない。

死んだ後あるものは「動かなくなった遺体」という認識には耐えれない。
物理的に見ればそうなのかもしれないが…。
「知り合いもいないから葬儀をする必要がない」という人もいる。
合理的である。人から見られないならいいという発想である。
合理的なことってなんか味気ないことが多い。頭では納得できるんだけど、身体に熱いものが走ることは決してない。合理的ということは人間の理屈に合う考え方、人間が納得できる考え方だから。
「はあ、確かに」で終わる。「ふええええええええ」とはならない。

多くの人は「故人が直葬を希望してましたから」と言うらしい。

きっとおじいちゃん、おばあちゃんは「家族に迷惑かからないよう質素でいいよ」という思いやりの気持ちで言ってるだろう。その言葉だけを真に受けてからに。「しなくていいよ」と言われても向こうの立場にたてば「してあげたくなる」ものでは。たとえ合理的でなくても。

直葬をした人の中には味気ないのでもう一度葬儀をしたいという人もいるらしい。心の何かに引っかかるものがあったのだろう。

もうひとつの理由、あまり書きたくないが、僕も含め(イタイイタイ)信頼できない坊さんが多いのだと思う。
お布施をお経料と勘違いしている人が多い。「坊主は金かかる」と思われているのだ。
お布施は気持ちだから無理なことをしなくてもいいのにな。まずは最初にお寺に相談して欲しいな。
ちゃんと一緒に考えるから。ああ、でも思い返せば縁の深くない方の葬儀の時、自分はどうだったろうか。と言われればなんか悲しみにより添えるなんて到底できてないな。難しいな。いろいろと。
納骨法要もしないで、勝手に墓に骨を納める人も多いそうだ。まさにアウトオブボウズ!
切ないっす。

「どうしても直葬をするならどうしたらいいか?なにか注意するべき点があるか?」と言われ
どうしてもか…う~ん。難しいな。わかりません。もなんだしな。

「どうしても直葬をするのであれば、ご家族がお経をお勤めしてはいかがでしょうか。
読む人によってお経の意味が変わるということはありませんから」

と言ってしまった。僧侶が読もうが、門徒さんが読もうが「お経」に書かれている事柄は変わることない。そこが真実の基準なのだ。「何も信仰のない人がお経を読んで何になる」と言われればそれまでだが、
いつの時代の誰が読んでも同じ本質が書いてあるって素敵じゃないですか。(お経とは僕にとっては無量壽経です)

編集者の人もわけのわからないことをコメントされて困ったに違いない。Oさん、すいません。

直葬について「江戸時代から続いてきた寺受け制度の呪縛からとけた」とか喪主が「自らの意思で選ぶ自由な葬儀」と評価している人もいる。しかし、直葬で親を送れば、直葬で子に送られるであろう。
まあ千の風になるから大丈夫だ!という人もいるかもしれないが。その千の風に乗って新型インフルエンザが流れてこないことを痛切に願うのである。

※6月16日発売の週刊文●にコメントがでるかもしれません。
by bongu04200420 | 2009-06-11 14:48

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