心の釘にひっかっかったもの

野犬の事件後、なんか心がすっきりしない。
原因をいろいろ考えた。なんかが引っ掛かってる。

ポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポク
ポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポクポク

チ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!!

あの言葉がひっかっかっていたのだ。

電話をくださった方の「犬が死ぬところを見せるのは子供の教育に悪いので」という言葉。
気にかけた犬が死んでいるところを見ると、子供心にあまりにもショックが大きいので可哀そうという意味だということはちゃんとわかっている。でもひっかっかってしまったものはどうしようもない。

何故「愛おしいものが苦しんで死ぬ」姿を見ることが悪いのか?なぜ死をオブラートに包まなければならないのか?それがわからない。人間は生まれたら必ず死ぬ。どうしても死にたくない人は「死なない方法」を発見したONSAIさんのHPを見てほしい(笑)

火葬場の煙突も縁起が悪いから隠そう。うちの老人ホームから死人がでるのはまずいから裏口からだそう。気持はわかるが「死」と向かい合うことこそが「生」なのではないだろうか?
生と死は対極にあるもんではない。紙の表と裏のようにひとつのものではないのか?

表から見るか、裏から見るか

見せたらいい。堂々と。死を遠ざけるのではなく死はここに迫っているものだと大声で言えばいい。泥臭いことから逃げては駄目だ。泥の中にこそムツゴロウはいる。

「長生きさえしていれば幸せ」「健康なら幸せ」
間違いではない。現にそう思う瞬間もある。
しかし、僕にとって長生きは結果にはなりえても決して目標ではない。
by bongu04200420 | 2008-06-23 00:12

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