法座3日目

法座もいよいよ今日で終わり。法座の前の日からお斎の準備に尽力くださった婦人会の方々。受付のお手伝いをしてくださった世話人の方々、その他多くの方々本当にありがとうございました。誰なら手伝ってくれるか?と思うと本当に頭がさがります。

考えてみたら親鸞聖人のお示しになった教えってすごいと思う。

「今は伝わりにくい時代」とか「どうすれば若者が寺に参るか」とか「寺院経営は●●」とか表面的なことで

現に今の自分に親鸞聖人を通して阿弥陀様の働きが届いているのだ。
その事に気付いたのは何年か前だが、そのもっとまえからその働きにつつまれていたのだ。
法座はそういうことを再認識するいいご縁だ。やはり法座とは門徒さんに「いい話を聞かせる場」ではなく自分の為のものである。門徒さん一人一人がそう思ってもらえれば幸せだ(違う考えの方には申し訳ありません)

750年以上も昔の教えが、古くならずに一層輝きを増しながら伝わっている。教えは「伝えるもの」ではないということを本当に感じる法縁となった。
他力の宗旨においては「伝わる」ものなのだ。

最近、仏教が伝わりにくいとか言うけど、もともとお経に、教えを聞くこと自体が難中の難、大変な中でも大変なことだと書いてある。根本的に法話を聞くような身ではないんだ。教えを聞くような身でないんだ。聞きたくないというのが普通で聞いてることの方がすごいことなんだ。聞くことから逃げるのが普通なのに聞いてるということはそこになんらかの「はたらき」があるんだ。育てせしめられているはたらきがあるんだ。

そのはたらきはこちらが作り上げたものではない。作れるほどのものではない。「伝える」というのは自分の能力があるから伝えることができるみたいでおこがましい。なんか「伝わる」でしかないように思う。

教えを喜んだり、教えを柱にしているこちらの生き方で「伝わる」ものだと思う。
by bongu04200420 | 2008-05-17 10:51

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