法話について

 おまいりに行って時間に余裕があるときは法話をするようにしている。
その形式はオリジナルやいろいろな先生の法話のアレンジや朗読法話と様々である。
どの家でどの法話をしたかできるだけ覚えているつもりだが忘れることもある。途中で「あ、この前この話したわ」となることもあるのだが、少し前、いつも熱心にお参りをするご家庭にお参りに行った時、朗読法話をしようとおもったら
「あ、この話したような、してないような」という混乱状態になった。
「すいません。今からする話こうこうこういう内容なんですが、聞いた覚えありますか?」とたずねてしまった。すると、
「仏様のお話、例え同じ内容であっても何度でも聞かせてください」と言ってくれた。
この時、ハッとした。

 法話とは仏様の話なのにまるで自分の話になってはいないか?
ウケが良かった、悪かったばかり気にしてはいないか?確かにそれも重要だが衣はうけるためにまとっているのではない。そんな簡単なこともわからなくなっていた。

 また、自分の朗読法話の仕方についても難しい仏教用語を抜かしたり、表現をわかり易くかえてみたりそこに書いてあることを自分なりにアレンジしている。『そのまま』に自信がない自分。
「何度でも聞きますよ」という言葉は何度聞いても変わらない教えを表している。話が尊いのではなく話の奥に流れる仏の心が尊いのだ。
これからは「そのまま」にチャレンジしようと思う。

(2006年10月『永照寺だより』より)
by bongu04200420 | 2007-12-31 12:43

読み流しブログの決定版 


by bongu04200420
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30