いただきますが聞こえない

 とある学校で、給食の前に手を合わせて「いただきます」と言って食べ始めることに親の方からクレームがあり、以後笛を吹いて食べ始めることにしたそうだ。何でも親が給食費をきちんと払っているので、食事をいただことに感謝しなくてもよいだろう、というものらしい。
とくに公立の学校では食事の時に、挨拶をせず食べ始めるようになったと何かの記事で読んだ事がある。その根底には、【いただきます】
【ご馳走さまでした】は宗教的要素が強いからだそうだ。

この話を聞いたときなんか言葉にならないほど切なくなった。
たまに「いただきます」を言い忘れていることがあっても「ああ、忘れてた」と反省する。根本から言う必要がないとこられてはびっくりする。

 「いただきます」は『食べます』という意味ではなく、様々な動植物の命の恵みをいただくという意味が込められている。
「ごちそうさま」は漢字で「馳走」と書き駆け走るといった意味をもっている。食べ物には、食材を育てる人、収集・運搬をする人、調理・盛りつけをする人などたくさんの人が関わっているからそんな人々の働きに感謝して心から「ごちそうさまでした」と言うのだ。

 また、給食費を払うとは誰に払っているのだろうか?命を奪われた動物や植物になんの報酬もない。それどころか「人間に食べられて本望やろ」という言葉まで出る始末。
人間に通用する言葉がしゃべれないだけで動物も植物も殺されて捕食されて嬉しいはずがない。SF映画じゃないが、人間よりもっと強い生命体が現れて人間が食べられはじめたとき喜んで食べられる人はいないだろう。

人間が生きるということは測ることが出来ないほど罪深いことなのだと思う。

 命を奪うことでしか自らの生命を維持できない。
スーパーに行ったら殺されて食べやすく加工されたお肉が並んでいる。
しかし、命を奪うことがオブラートに包まれただけで本質は何も変わっていない。自らの手で殺さなくとも間接的に命を奪っていることにはかわりない。
『生かされて生きる』という言葉の意味がやっと少しだけわかってきた。

(2006年7月『永照寺だより』より)
by bongu04200420 | 2007-12-28 19:46

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