一日停電で気づいたこと

 十二日、お寺の電気設備交換の為、一日中停電となった。テレビもねえ、ラジオもねえ暮らしにより自分で思ってた以上に電気に依存していることに気づいた。「停電で暇だからビデオでも見ようか」という笑い話ではないが何をするにも電気だ。本を読むのも、ご飯を食べるのも、洗濯も…昔の人は電気のない中でよく生活していたなと感心する。不自由で仕方ない。

 夜、京都の鴨川沿いを歩いている時ふと思ったことがある。暗い鴨川の対岸に並んで立つお店に灯りが灯っていた。冬だったせいかこの灯りが明るくて暖かそうで、外を歩く自分と比べると切なさがこみ上げてきた。寒いから切ないのではない。

暖かい場所があると知っているのにそこに自分がいないことが切ないのだ。

電気がないことが不自由なのではない。電気がある生活を知ってしまったから不自由なのだ。

永照寺の前坊守が小倉駅から大手町に移った時、
「便利になるってことはなんて不便なんやろうね」と言った。
便利になることは何かを捨てることだからその言葉の意味がわからなくもなかった。

(2006年5月『永照寺だより』より)
by bongu04200420 | 2007-12-28 19:44

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