食べ物様③

食べ物様と題して勝手に3回も書かせていただいた。
最後に、元岡崎女子短大で教授をされていた童話作家の宇野正一さんの話を通して
食べ物について考えてみようと思う。

宇野少年は幼少期に父母と別れ、祖父に育てられた。祖父の弥三郎さんは、「たべものさまには仏がござる。おがんで食べなされ」とよく言われていたそうだ。少年があやまってご飯をこぼすと洗って食べることをしつけられた。少年が小学校5年の時、その田舎の小学校に顕微鏡が届き、先生がそれでいろいろなものを拡大して見せてくれた。そこで少年は、いつもおじいちゃんが「食べ物には仏さまがござる」というが、ご飯粒にはどんな仏さまがいるのだろうか、それを見たいと思った。そこで昼の弁当の残りのご飯粒を顕微鏡にかけてのぞいてみたが、なにも見えない。金色に輝く仏さまが見えると思っていたのに、なにも見えないのだ。そこで先生にそのことをたずねたら、先生は大笑いしながら、「ご飯粒の中には、蛋白質(たんぱくしつ)と含水炭素(がんすいたんそ)と、脂肪と水分、その他のものは入っとやせんがや。おまえのじいちゃんの言うのは迷信や」と答えた。少年は家に帰ると、さっそくおじいちゃんのところへ行って、「おじいちゃんの嘘つき」とせめた。するとおじいちゃんは大きな声で、「この罰あたり」といいながら、仏壇の前に行って泣きだした。少年は今もその時の祖父のうしろ姿が忘れられないと言っている。

宇野さんは今にして「この祖父の教えが身にしみて思われてくる、今の学校教育にいちばん欠けているのは、この祖父が教えてくれたものの見方ではないか」と言っている。
人間がものを見る場合、その価値を見るか、意味を見るか、二種のものの見方がある。価値でものを見るという見方は、ふつう私たちがものを見ている見方で、それはなんのためにどれだけ役にたつか、いかほどの値段がするのかを問うようなものの見方である。もう一つの意味をみるという見方は、そのものの「わけ」「事柄」を発見し、それについて心に感得する見方を言う。一粒のご飯など価値からみると無に等しいものだが、意味の立場から見るととんでもないことだ。1億円積んでも人間の力だけではお米の一粒すら作れないのだから。「食べ物様には仏がござる」この言葉あなたはどううけとるだろうか?



たべものさま
           宇野正一

たべものさまには佛がござる
おがんでたべなされ

大むぎめし しいなもち
まずいまずいともんくたらたら
そのたびたびに叱られた

帰命無量寿如来
今頃やっとおがめました
たべものさまには
佛がござりました
おじいさん

by bongu04200420 | 2007-09-11 13:21

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