仏教にふれようぜ2007

あまり人に言ってないが(書いたら一緒だけど)半年間、井掘の市民センターの仏教講座の講師に呼ばれてお話をしに行っている。70歳以上の方々が13人位いるクラスの担当をさせてもらっている。一方的な法話なのかと思いきや、少しでも話したらそれに反応して「わかるわかる」「しっとる」「ふ~ん」とびっくりするほどいい反応をしてくれる。最後はみんなでお茶を飲んで終わるのだがこじんまりとして楽しい。1回目は「倶処一所(くえいっしょ)」、2回目は「人間と言う病」、3回目は「縁」。最初「あまり慣れすぎたら授業中、手話ダンスするから…」などと言う話をきいていたが結構ちゃんと聞いてくれる。今日は市民センターに着くやいなや夏休みということもあり子供達が沢山いて「なんで坊さんが来とるんや」と興味津津。というか旭川動物園の白熊状態。子供達の群れを振り切って会場に向かう。テーマは「縁」 因(いん)+縁(えん)=果(か)。因(種)で縁(日光、適度な水、肥料)=果(花が咲く、花が咲かない)この人生の方程式に迫ってみた。※詳しい内容はまたそのうちどういうかたちかで(謝ゝД人){今回はごめんなさい!]
話が終わった後は笑福亭仁智師匠の創作落語『蓮如さん』を見て終了!今回の反省点は、歎異抄の第13条のことを話した事。~おおまかな内容~親鸞聖人が弟子の唯円に「私の言うことを信じるか」と言った。「信じます」と唯円。「それでは私のいうことに背かないか」と聖人が重ねる。つつしんでこのことを了解した唯円だったが、おもわぬ展開が待ち受けている。親鸞聖人はこう言ったのだ。「まず人を千人殺してくれないか。そうすれば往生は確かなものになるだろう」唯円は慌てた。「いくら聖人の仰せでも私のようなものには人一人殺すことができません」「ではなんでさっき承知すると言ったのだ」意地悪な聖人。きっと唯円さんはかなり困った顔をしていたことだろう。聖人は続けていった。「これでわかるであろう。どんなことでも自分の思い通りになるのなら、浄土に往生するために千人の人を殺せと私が言った時、すぐに殺すことができるはずだ。けれども思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺せないだけなのである。自分の心がいいから殺さないのではない。また殺したくないと思っても縁が整ったなら百人も千人も殺すことがあるだろう」殺人という果になる縁が整わなかっただけで因(我々が本来持っているもの)がいいのではない。ということを言うと,『私と殺人者とを一緒にしないで』というオーラを出す人がいた。う~んちょっとわかりにくいのかもしれないな。自分の視点ばかりにとらわれて見落としていたものに気づいたかんじがした。
by bongu04200420 | 2007-07-27 16:08

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