ウナマヨ実践録

ある鰻屋での出来事。
山椒を振りかけ鰻重を口にする父親にむかって息子が言った。「お父さんマヨネーズ貰っていい?」この息子、鰻にマヨネーズをかけて食べたいというのだ。 父親は「おまえ。鰻は高級品なんだ。そんな食べ方するやつがあるか」と激怒した。真正マヨラーの息子はキョトンとしている。この時ふと考えた。マヨネーズが高級品で鰻が安く手にはいる魚だったら
「こら、こんな鰻如きにマヨネーズをかけるな!」となるのだろうか。自分の築いてきた価値観を絶対視することを邪見驕慢悪衆生と言う。マヨネーズかけようが黒酢かけようが勝手なのに、油断すると偏見のコレクションを人に押しつけてしまう。あるお父さんが
「一流の大学に入り、一流の仕事をするのがこの子の為です」と言う。子供は子供で「俺は料理人になりたいので学歴はいらん」と言う。
どちらが悪いわけでもない。親は自分が今まで経験したこと、見てきたものから仕合せを導きだし、子供はただ伸びたい方向に伸びることに仕合せを感じる。
正否の話ではない。お父さんの描く仕合せと子供の描く仕合せが違うだけだ。子供は自分の家族であり、自分が教育したものであっても、自分の所有物ではない。自分の思惟を超えた「いのち」が両親を通過して現れたのだ。
思い通りにならないことが多くある娑婆。もしあなたが思い通りにならないという病状で苦しんでいるのならその原因は我執なのだ。我執とは自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないこと。苦しみの本質は「息子が料理人を目指すこと」「娘がどこの馬の骨ともわからん男と結婚したい」ということではない。自分の描いた仕合せの枠に息子や娘がはいらないことにあるのだ。残念ながらこの病とは生涯付き合っていかねばならない。

ただ、治ることはなくとも点検して正すことはできる。言いかえよう。鏡を持つことくらいはできる。その鏡がお経であり教えである。顔そのものを変えることはできないが鏡をチェックし表情を変えること位はできる。人生の様々な側面において「本当に自分の言っていることが正しいのか」を問い続けていかねばならない。
誰のものでもない島を国同士が奪い合う愚かさ。正義のぶつかり合いは悲劇を生む。自分の「ものさし」を主体とするのではなく仏の「ものさし」を聞きながら生きていくのだ。そんな生活の中で自然と浮き彫りになってくる己の姿を愚者とよぶのだろう。
鰻にマヨネーズの話に戻るが、この話を書いた後、じっくり考えてみると、ウナマヨも照り焼きバーガーみたいな感じで意外に美味いのではないかと思うのだった。

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この法話を書いて5年経つ。
知人に鰻をいただいたので、一切れだけやってみた。感想は… 不味くはないが、マヨネーズ無しの方がいいみたい 笑。

by bongu04200420 | 2017-07-17 19:34

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