仏法

質問して教えてもらった知識というのは大切にしないし、真意がわからないことも多々ある。
ただその場をしのぐには手っ取り早い。
しかし、実生活の中で感じとった「感覚」は実寸大であり、消えることはない。

最近あらためて思うのは仏法は読みものでも書き物でも精神修養でもない。
一番近いのは食べ物だろう。

自分の勝手な解釈なんで「阿保か」と言われるかもしれないが、仏教的な知識はほとんど役に立たない。
食べれば別。役にたつ、たたないなんてはるかに超えたものがそこにはある。

だから「仏教を教える」ことなんてできない。先生に習って脳味噌の皺を増やして歓ぶのは飲みもしない酒を飾るに等しい。自ら体験し歩むことでのみ体感していくものだろう。

そういうことを考えていると、人生のいろいろな出来事が問題提起のようだなと気付く。
もっというなら「公案」のようだ。時として一人の人の一生が俺の公案になることもある。

5月12日にんすけのお別れ会をするという報告をうけた。
ミスターMMが中心になってやるとのことだが、久々ににんすけのブログを読むとあの頃には気付かなかったアイツの気持ちが浮かび上がる。

にんすけも僧侶とは何かという「公案」を与えてくれている。
いろいろな人からいろいろな「公案」をもらいながら生きていくのだろう。

※公案とは禅の祖師達の具体的な行為・言動を例に取り挙げて、禅の精神を究明するための問題である。
by bongu04200420 | 2011-04-27 13:53

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